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山歩き、水彩画、デジカメなど自然とのふれあいのページです。


by forest-hill
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高取城址

5月の連休は、腰がぎっくり腰のような感じで思わしくなく出かける事を断念したが、やっと回復、前々から行こうと思っていた、日本3大山城の「高取城址」へ行く。近鉄吉野線 壺阪山駅で降りる。両端に水路を配した道に白壁の古い家並みが続く。
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医院もお屋敷のような感じだ。
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「土佐・・・・」と言う商号や、名前がやたら多い。大和朝廷の造営のために、遠く土佐から労役に従事させられて、故郷へ帰ることもかなわず、この土地に住み付いた人々が、望郷の思いで土佐の地名をつけたと言うことだった。もと高取藩の家老屋敷であった、植村家長屋門を過ぎると、田畑が続く。砂防ダム公園を抜けると山道にかかる。宗泉寺への分岐を過ぎると、登りも急になりしばらく行くと左側に猿石が立っている。高取城築上の時に石垣に転用するために、明日香にあったものを移転したものらしく、斎明朝時代(7世紀)のものだと言う。何のために刻んだのであろうか??
高取城址_b0057885_23563563.jpg

二の門を過ぎると石垣が見えだす。国見櫓からの展望は霞がかかり大和盆地の展望もいま一つだ。次々と曲がりくねった山道の両側に堅固な石垣が築かれている。想像していたより規模が大きい。
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以前訪れた小谷城址や、備中松山城の規模と比較しても如何に大きな城だったか判る。標高550mを越える山の上にあるとも思えぬほど、敷地は広大だ。登りつめると本丸が建っていた急勾配の石垣とそれを取り巻く大木が在りし日の城の雄大さを感じさせる。
高取城址_b0057885_081552.jpg

城下町より望む城の姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」と謡われ別名「芙蓉城」の名で呼ばれたその優美さが見事であったのだろう。明治になり廃城となり建物だけは取り壊されたが石垣だけが残った。天守閣など建物が何一つ復元されていない分、在りし日の想いを巡らせることが出来る。もみじが多く、秋に明日香の稲淵の棚田から栢森経由で紅葉の高取城址に訪れたいものだ。降りは壷阪寺経由で、壺阪山駅へ戻った。
by forest-hill | 2008-05-20 00:14 | 山野遊歩