「鉄道記念日きっぷ」で、吹屋へ行く。青春18キップの秋版といった形で、少し高いが、JR西日本版だと、3,000円だが一枚単位で購入できるので便利だ。
古い町並みを訪ね歩いた紀行文で、「備中高梁から、はたしてこんな奥に集落があるのだろうか、と不安になるほど車を走らせた先に、突然、赤い瓦屋根が連なる集落があった」との記事を読み、興味を持った。
時刻表を調べると、大阪駅6:00の快速に乗車すれば、備中高梁からバスに乗り継ぎ11:50に吹屋に着く。帰りの最終は15:42発の高梁行きのバスがある。これに乗れば、20:30には大阪へ着く。、見学する時間は3時間半ほどだが。吹屋の町並みを歩き回るには充分だろうとこの計画で行くことにする。
10/11 大阪を6:00発の快速に乗り、姫路まで行く。ところが姫路から岡山行きへの列車が運転見合わせだ。この先の、人身事故で運転再開までどれだけの時間がかかるか分からない。この列車に乗れないと「高梁発の吹屋行き」のバスに間に合わない。
大幅に遅れるのであれば、赤穂線周りで岡山へ行き、行き先を「鬼ノ城」に変更しようとしていたら、20分遅れで列車が発車するとのこと、しかもトラブルでダイヤが乱れたため岡山行きが高梁行きに変更になっている。何が幸いするか分からないものだ。いつもは満員で岡山まで立ちっぱなしが多いのに、今回はゆっくり座れる。
高梁で下車、備中高梁城へ行く観光客は多いが、吹屋ゆきのバスは、乗客は数人しかいない。途中、石垣をめぐらした大きな家がやたらに多い。約1時間高度500mまで山道を登る。「吹屋ふるさと村」の看板があるところで降りる。バスの運転手にベンガラ製造で巨万の富を築いたお城のような屋敷「広兼邸」への道を尋ねると、とても遠くで歩いていたら3時間はかかるから無理だという。高梁の観光案内所で聞いたときには、約1時間で往復できるとの説明だったが大変な違いだ。しかし観光案内所で貰った案内地図を見ると、約3km、吹屋の町並みへは500mだ。往復で2時間もあれば行けそうなので、町並みを先に見学てから、広兼邸へ行くことにする。
吹屋は緩い坂の両側に赤い屋根瓦の町並みが続く。格子や壁なども赤いベンガラに塗られていたのだろうが、大半の家は色あせて塗った当時の鮮やかさは無い。銅山が盛んな頃の写真を見ると、運搬用の荷馬車が道にあふれている。それに比較して、現在の静けさはなんだろうと思う。観光客も少ない。
小高い所に、現在も使用されている日本最古の小学校がある。鉱山が全盛期に立てられたのであろうも見事な建物だ。
町並みを見た後は、少し離れた場所にある「広兼邸」へ行くことにする。小型車なら通るくらいの道を歩くが車や人に出会う事は無い。殆どの観光客が車で私達のように歩いているものはいない。峠を越え、山道を50分ほど辿ると、突然木々の向こうに、高い石垣が現れ巨大な屋敷がその上にある。映画「八つ墓村」などにも使用されたが、その巨大さにはびっくりする。
現在は、寄贈されて観光用に公開されているが、いくら鉱山の経営やベンガラ製造で財産をなしたとしても、よくもこんな山奥に部屋数が56もある、巨大な屋敷を立てたものだと感心した。
往復の所要時間は、見学時間を入れて約2時間だった。
やはり高度が500mあるからだろう、3時頃を過ぎると急に冷え込んでくる。吹く風は冷たく、木々が色づき、吹屋は秋の佇まいだった。